死とは。
「死とはなんだろう。」
そんな問いを考えはじめたのは、
歳を重ねてきたからかもしれないし、
身近な人の別れをいくつか経験したからかもしれません。
人は誰しも、いつか終わりを迎えます。
だけどその「終わり」を、私たちは普段あまり考えないようにして生きている。
でも、死を“遠ざける”のではなく、
“見つめる”ことで、
今ある「生」がもっと大切に思えるようになる気がするのです。
忘れられない別れ
私にとって最初に「死」を強く意識したのは、
親友を突然亡くしたときでした。
ついこの間まで一緒に笑っていた人が、
急な病であっという間にいなくなってしまった。
お通夜の帰り道、
「人って、本当にいなくなってしまうんだ」と、
胸の奥に穴が空いたような気持ちで歩いたのを覚えています。
あのときから、「死」とは一体何なのか、
何度も何度も、考えるようになりました。
死は、終わりであり、はじまりでもある
死というのは、「終わり」のようでいて、
実は「誰かの中で生き続ける」という“新しいはじまり”でもあるのだと思います。
たとえば亡くなった母の味。
母の背中、話し方、怒り方、笑い方。
今もなお、ふとした瞬間に私の中に蘇ってくる。
それって、母がもうこの世にいなくても、
私の中で“生きてる”ってことなんじゃないかなって思うんです。
誰かの記憶の中で、生き続ける。
その人の想いや、行動や、やさしさは、消えずに残っていく。
だから私は、
「死は終わりだけど、無ではない」と思うようになりました。
死を考えると、生が豊かになる
不思議なもので、「死」を真剣に考えるほど、
「今日をちゃんと生きよう」と思えるようになります。
何気ない日常が、どれだけ愛おしいものか。
家族との時間、あたたかいご飯、
「おはよう」と言える朝が、どれだけ尊いか。
忙しさに追われていると忘れてしまうけど、
限りがあるからこそ、1日1日が輝く。
そして、何より。
“自分がいなくなった後”を想像すると、
「誰かに何を残したいか」「どう覚えていてほしいか」を意識するようになります。
死に触れるたび、人は強くなる
人生には、思い通りにならないこともたくさんあります。
大切な人の死は、何度経験しても慣れるものじゃない。
でも、喪失は人を深くする。
心がちぎれそうな悲しみも、
時間が少しずつ少しずつ、優しくしてくれる。
そして、自分もいつか死ぬという前提に立つと、
「今やるべきこと」「大切にしたい人」がくっきりと見えてくる。
死を知って、人生を知る。
そうやって、私たちは強く、やさしくなっていくのかもしれません。
死は「こわい」だけじゃない
もちろん、死はこわい。
正直に言えば、まだまだ死にたくないと思ってしまう。
だけど、それと同時に
「誰にも平等に訪れるもの」だと思えば、
少しずつ恐れもやわらいでいく。
そして、私は思うのです。
死とは、終わりじゃない。
ただの区切りなんだと。
またどこかで会える日までの、一時の別れなんだと。
最後に
死を語ることは、生を語ることだと思います。
だからこそ、今日もちゃんと笑いたい。
誰かを大切にしたい。
ちゃんと「ありがとう」と伝えたい。
今を生きるあなたが、
少しでも今日を穏やかに過ごせますように。
そして、大切な人の命が、
あなたの中で静かに生き続けていますように。


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